記事では、病気や家族との関係における「ありがとう」の言葉が重要性を示しています。父親からの感謝の言葉や、義母からの感謝の言葉が自分に新たな気持ちをもたらし、自己成長につながっています。特に父親からの最後の「ありがとう」は、娘にとって宝物であり、神の存在を感じさせました。家族とのつながりや感謝の意味を再確認しつつ、自己成長や生きる意味を考えさせる内容となっています。
取材・文/坂口鈴香

両親の「ありがとう」の言葉を思い出します。
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最後に電話で「ありがとう」
小野寺敏子さん(仮名・60歳)も、重病の父親から「ありがとう」をもらった一人だ。
しかし、これらの言葉は電話で話されました。
「コロナウイルスのパンデミックの影響で、その間は病院に面会することもできませんでした。私の容態は免疫系の病気で深刻に悪化しましたが、父は私ができるだけ家にいて自宅で療養することを望んでいたのですが、 , 感染拡大を防ぐため、家族以外は面会しないように言われました。
日々憂鬱な日々を過ごしていた小野寺さんは、資格取得の勉強に集中していた父親に会えない辛さを乗り越えた。日中は仕事をしながら、通信制大学の課題をこなし、締め切りのレポートに追われ、休日のほとんどを勉強に費やしました。
「父もきっと『頑張れ』と応援してくれていたと思います。だから気持ちを強く持って頑張れたのだと思います」。
そして父に別れを告げる日がやって来ました。
父の容態が急変し、母は救急車を呼ぶことにしました。これが最期かもしれないと思った母は小野寺さんに電話し、救急車が到着するまで父に代わってほしいと頼みました。
息苦しくなりながら、父親の最後の言葉は「ありがとう。頑張って」だった。
「私が救急搬送されたときに父が亡くなりました。死に目には会えませんでしたが、父の声は今も耳に残っています。『ありがとう、頑張って』という父の言葉は、私にとって宝物です」難しく考えずに集中して、父の最期の言葉を聞くことができるという目標があったとき、私は神の存在を実感しました。
小野寺さんは見事資格を取得し、活躍の場が広がりました。彼は、父親が自分を見守ってくれていると感じたと笑顔で言いました。
「ありがとう」がプレッシャーに変わる
これは単なる感動的な物語ではありません。佐藤一美さん(仮名・59歳)は、同居する義母がいつも「一美さん、ありがとう、いい奥さんだね、本当に幸せだよ」と言ってくれると言う。
佐藤さんは結婚以来30年以上、義父母と暮らしている。彼は、義理の両親と激しい口論をしたことはなく、彼らに対して不快感を感じたこともなかったと語った。
「私が鈍感で、義父母が私のことを気にかけてくれるからだと思います」と佐藤さんは控えめに言うが、この発言から佐藤さんが義父母にどれほど優しいのかがわかる。
義父を見送った義母は元気だったのですが、最近足腰が弱ってきました。弱気になったのか、佐藤さんに「ありがとう」と言う回数が増えた。
「誰かにありがとうと言われるたびに、もっと良い妻にならなければいけないと感じます。感謝されないよりはずっといいです。」
佐藤さんの心境は複雑だ。
真中正子さん(仮名・61歳)は最近、東北で一人暮らしをしている母親を東京の自宅に招いたが、母親の「ありがとう」の言葉に寂しさを感じたという。
「親不孝を頑張って返したくて、毎晩足を浸してマッサージしてたんですけど、そのたびに手を組んで『ありがとう』って言ってたんですけど、泣いてしまいました」泣いてしまったことさえありました。
お父さんの最後の「ありがとう」とお母さんの頻繁な「ありがとう」 – パート 1 (
取材・文/坂口鈴香
主に終の棲家と年老いた両親や家族との関係について書く「死にゆく作家」。 100以上の施設を訪問。 20年以上前、両親に電話して母に別れを告げた経験をもとに、人生の最期と家族の思いを探る。